こんにちは。私です。
第二次阿倍内閣が発足し,
安倍総理は
憲法改正(
改憲)に意欲をみせています。各メディアも
憲法について取り上げる日々が続いており,
憲法は今,世間の注目を集めています。
今日は,そんなホットイシューでもある,
憲法について書いていきたいと思います。まず,
憲法の存在意義について書き,次に,少しだけですが,
改憲の是非について書いていこうと思います。
例によって
憲法とは何者なのか
*2,という根本的な問いから始めたいと思います。
一言でいえば,
憲法とは,「基本的人権を保障すること,および,国家権力の暴走を食い止める対策,について定めている日本の最高法規」です。
最高法規とは,憲法に違反する国家の行為は無効となること,つまり,憲法の内容と国家の行為が抵触した場合には憲法が優先し,その抵触する限度で国家の行為は無効となること,を意味します*3。
では,
なぜ,
憲法は
基本的人権の保障と国家権力の暴走の阻止について定め,これを最高法規として宣言しているのでしょうか
*4。
これについて考えていくためには,歴史を遡ってみる必要があります。その際には,血と汗(と涙!?)の世界を避けて通ることはできません。
時は,中世といわれた時代まで遡ります
*5。この時代の多くの国では,国会というものが存在せず,国王1人で法律を定めることができるという恐ろしい時代がありました。これを
絶対君主制といいます。もちろん,このような時代には
憲法というものは存在しませんでした。
国王1人の価値判断を法律化することで,たとえ国民全員が反対していたとしても,その価値判断を強制できるという時代があったのです。
これを図式化すると…
国王
------越えられない壁------
法律
------越えられない壁------
国民
となります(某掲示板みたいに上手く書けませんでした…)。
国王は,自分1人で法律を定めることができ,自分の思いのままに国民を支配し,虐げることすら可能でした。しかも,国王には法律の適用はありませんでした。
現に,歴史的にみても,国王が圧倒的な権力を濫用し,国民が虐げられていた時代がありました。国王に権力が集中していたのです。
私は歴史に詳しくないので,適切な例は出せません(おい)。
ONE PIECEに,ワポルというキャラクターがいます。ワポルは,ドラム王国の王様でした。ドラム王国は,
絶対君主制を採ってる国です。故に,ワポルには,
立法権・
司法権・
行政権のすべての国家権力が集中しており,彼は,彼の欲望のおもむくままに,好き放題に国家権力を行使し,国民を虐げていました。
ONE PIECEでは,主人公ルフィが,仲間のナミとサンジが病気・怪我で動けなくなってしまったため,2人を背負って医者まで運ぼうとしていたシーンがあります
*7。ワポルはこれを邪魔しようと話しかけるのですが,ルフィは耳も傾けすらせず,ズカズカと進んで行きます。それに怒ったワポルは,その場で
「おおそうだいい法律を思いついたぞ チェス(注:ワポルの部下)!書き留めろ!『王を無視した人惨殺』」
と言って,
立法権を行使して法律を作りました。そして,その直後,ワポルは
「1番ムシしてやがるその病人とケガ人(ナミとサンジ)から殺してやれ*8 お前達っ!!!(注:ワポルの部下)*9」
...こんな具合で,ワポルは,ルフィ達が気に入らないという単なるワガママな理由から,漫画の見開き1ページという一瞬の間に(!),国家権力のすべて(
立法権・
行政権・
司法権の
三権)を行使しています。
このように,国王に国家権力が集中してしまうと,権力は暴走し,国民が虐げられてしまうおそれがあります(適切な例を出せずごめんなさい。まだ土下座をしている)。
そして,現実世界でも,ワポルのように権力を濫用していた国王がいたのも事実です。
そんな中世の時代のあたりから,現在では
憲法と言われているものの萌芽がみられはじめます。
自然権とは,人は生まれながらにして,生命・身体・財産を侵されない,という概念です。そして,
啓蒙思想家たちは,
自然権は,国王によっても侵すことができないと言うのです。
自然権は,後に基本的人権と言われるものの基となった概念です。
また,国家権力が国王1人に集中するから権力が暴走するのだ,として,三権分立とうシステムを考案しました。
三権分立とは,国家権力を分散させ,これを異なる機関に帰属させることで,互いが互いを牽制するようにする国家権力の仕組みのこと,をいいます。具体的には,立法権を国会に,行政権を内閣に,司法権を裁判所に,それぞれ与え,かつ,三者同士で互いが互いを牽制し合うような仕組みを設けています。これによって,三権が互いをチェックし合い,権力の暴走が阻止されます。
さらに,国王も国民であり,国民の民意を代表する機関にすぎないのだから,等しく法律の適用を受けるべきだとも考えられるようになりました。
これを図式化すると…
----------越えられない壁----------
----------越えられない壁----------
法律
----------越えられない壁----------
国民(国王も含む)
といった具合です。
この
啓蒙思想家たちの考え方が,当時虐げられていた国民に広がり,国民は「俺たちは自由なんだ!国王も含めてみんな平等なんだ!」と思うようになりました。
そして,ついに国民の不満が爆発し,国家がひっくり返るという歴史的大事件が起こります。
ここでは,
基本的人権・
三権分立を保障することで,二度と国家権力の暴走によって国民が虐げられないようにしました。
これを契機に,世界では
憲法が定められるようになりました
*12。
このように,歴史の教訓から人は学び,
憲法を作りました。
既に述べたように,
憲法は,
基本的人権の保障と国家権力の暴走を食い止める対策を定めています。
また,国家権力の暴走を食い止める対策として,三権分立をさらに緻密化しています。これを,統治機構といいます。
ここまでみてきて分かった方もいらっしゃるかと思いますが,
憲法の究極的な目標は基本的人権の保障にあり,統治機構はこの目標を達成するための手段です。
統治機構は,国家権力の暴走を阻止して
基本的人権の保障を実質化するために,国家権力の在り方を緻密化し,権力に足枷をかけています。
このように,
憲法として,
基本的人権と統治機構を定めることを,立憲主義といいます。
立憲主義は,歴史的に虐げられていたが故に国家権力に対して懐疑的であった国民が,基本的人権を守るために設定した監視カメラといえるでしょう。
立憲主義は,国民が国家権力に虐げられまいと,長い歴史を経て,人類が確立した知恵です。
立憲主義について定めたことは,憲法の「歴史的な意義」です。
そんな時の与党である
自民党の
憲法改正案では,いくつもの条文が改正の対象となっていますが,
安倍総理は,まずは
憲法96条1項の改正を意図しているようです。
憲法96条1項は,「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と規定しています。
つまり,憲法改正の手続要件について定めているのです。
安倍総理は,この前段部分を,各議院の2/3以上から1/2以上にしようとしています。
そして,その謳い文句として,
安倍総理は「
憲法を国民のみなさんの手に!」と言っておられます。
今回の記事を読んでいただいている皆さんには違和感を感じていただきたいのですが,
憲法は,国民が,国家権力の暴走を阻止するために用意した
監視カメラです。
そんな監視の対象であるはずの国家権力の担い手たる政府が,「憲法は国民のものだから返すね」といって,監視カメラを取り外そうとしているように見えます。
もともと国家権力に虐げられ,国家権力を信用していないからこそ,国民が憲法を作ったのでした。そんな憲法を変えようとする政権は「暴走しかけているな...」と警戒するのが普通だと思います。私には,安倍政権は,憲法が邪魔だから改正しようとしているように見えます。
もちろん,政権が憲法は邪魔だと思っているといことは,憲法が監視カメラとして国家権力が暴走することを阻止するために機能してるという証でもあります。
少なくとも,私にはそう見えてしまいます。私は,
自民党の
憲法改正案に,全面的ではないにしろ,
基本的には反対の立場なのですが,反対だからそのように映ってしまっているだけなのでしょうか?これは記事を読んでいただいた皆さんにも是非考えていただきたい問題です。
また,
私は,自民党の憲法改正案のうち,憲法96条1項についての改正案には大反対です。なぜなら,憲法96条は,統治機構の重要部分のうちの1つであり,憲法改正要件を緩やかに変えるといことは,憲法の最高法規性を危うくするからです。
最高法規性とは,憲法に違反する法律などは無効となることであるということは既に述べました。この最高法規性は,
憲法の改正要件が,法律の作成要件よりも厳しいからこそ,保たれているものです
*13。
つまり,仮に,憲法の改正要件と法律の作成要件が同じだった場合*14,国会は憲法違反の法律を作ると同時に憲法を「その法律に沿うように改正できてしまう」のです。すると結局,憲法違反となるはずの法律が,憲法に反しないこととなり,無効となることはありません。
これでは,
立法権の担い手である国会の暴走を阻止できず,
憲法の「歴史的な意義」が没却されるばかりでなく,少数派の人達を民主主義≒
絶対主義から守るという
憲法の「現代的な意義」が没却されてしまいます。
少数派の人達は,多数派の人達に虐げられる危険に常に曝されてしまうことになるのです。これは非常に危険です。
現在の法律の作成要件は,原則として,衆参それぞれ
*15の1/2以上の賛成です
*16。
現在の
憲法の要件は衆参それぞれ2/3以上の賛成多数(法律のときとは異なり
衆議院の優越はありません),かつ,国民の1/2以上の賛成多数
*17です。
したがって,現在は,
憲法の改正要件が,法律の作成要件よりもとても厳しくなるようにできています。
しかし,
自民党の
憲法96条改正案では,衆参それぞれ1/2以上の賛成多数かつ国民の1/2以上の賛成多数で
憲法が改正されることとなります。
それでも,緩やかになったとはいえ,
憲法の改正要件の方が,法律の作成要件よりも厳しくなってはいます。
じゃあいいんでないの?と思う人もおられるでしょう。しかし,ねじれ国会でない場合は,時の与党の憲法改正案は国会は通過しパスできるでしょう。そして,その時の与党を選挙で選出したのは国民ですから,国民の多数派は,憲法改正案に賛成する人が多いでしょう。
すると,実質的に,自民党の憲法96条改正案は,憲法の改正要件と法律の改正要件を同じにするもといえます。
このように,
自民党の
憲法96条改正案は,
憲法の最高法規性を危うくする危険性をもっています。
この意味で,私は,少なくとも,
自民党の
憲法改正案のうち,
憲法96条1項についての改正案には大反対です。
…う〜ん。。前回にも増して長い記事を書いてしまいました(猛省)。。最後まで読んでくだすった方はいらっしゃるのだろうか…(滝汗)。
最後まで読んでいただいた皆さんには感謝申し上げます。
そして,1人でも多く人が,改憲に賛成・反対問わず,もう一歩踏み込んで考えていただけるのであれば,幸いです。
次回は,再び法律一般(法学部生はどのようなことを勉強しているのか)について書きたいと思います。
_____________________________________________